午前五時の殺風景

ミステリとホラーを好む社会人。音楽もたまに。日々言葉が死んでいく。

刳り抜かれた死体 感想

死体シリーズの新作が出た。
タイトルは『刳り抜かれた死体』です。

『死体の汁を啜れ』が出た時は、あまりの面白さに大興奮しつつも、キャラクター含め大好きだったので終わるのを寂しく感じたものです。
まさかまさか続編が出るとは。

インタビュー等で白井先生も「続編を書きたい」みたいなことはおっしゃっていたので、私も首を長くして待っておりました。
今日はそんな『刳り抜かれた死体』の感想をネタバレ有りで書きます。メモ書き程度の雑文。

未読の方はブラウザバックでお願いします。
『死体の汁を啜れ』が未読の方も戻った方がいいかも。少しだけネタバレを含むので。


時間軸の話

まずこの作品は単純に『死体の汁を啜れ』の後の出来事と捉えて良いと思う。
作中に出てくる『能ある画家の爪を剥がす』が刊行されヒットしたという記述は死体の汁には出てこないので。
(そこそこの金をぶんどったはずの青森が、兎晴書房に甘えて海外に飲んだくれの旅に出ているのには驚いたが……。)
また死体の汁では、青森がアシスタントを必要としてからは歩波→かずやの順でアシスタントをお願いしている。
四方山の入る隙はなかったはずなので、かずやのあとにアシスタントになったと考えるのが自然だろう。
絶望の淵に追いやられた青森が、なんだかんだでアシスタントに恵まれながら小説を書き続けていられていて嬉しい。

メインの謎の感想

白井智之のバカミスバカミスじゃない。徹底されたロジックで裏付けられた事実だ。

ということを再認識させられた。
だってこのオチ、どう考えてもギャグかと思うじゃないですか。
しかしそこも白井智之によって布石を打たれていて

こう思ってますね? 栄誉と伝統のある(中略)
そんな馬鹿なことありえないって。

まるで読者の心を読んだかのような台詞。思わず鳥肌が立った。
青森の的確な推理は「こんなにあからさまに書いていて君たちも読んでいたはずなのに気付かなかったんですか?それなのに馬鹿みたいって思ったんですか?」という読者に対する嘲りすら感じる。

白井作品の世界観はおかしい。特にこの牟黒市においては。
しかしそれはあくまで「登場人物たちが狂っている」だけで、そこにある自然現象や社会規範は一応現実社会と同じだ。
それを私たち読者は忘れてしまうからこそ、張り巡らされた伏線に気が付けない。

発想の出処

核となるトリックから考え、物語や雰囲気はそれに見合うように作り変えるというのが白井作品の作り方だということは、各所のインタビューで語られているので目新しい話ではないだろう。
そうなると、作品を読んだ時に「この話の核はどこだったんだろう」と考えてしまう。

本作においては場所の誤解がキーか、あるいは抜け殻の方か……。
もしかしたら他の某作品を書いている時に思いついたアイデアをここで使用しているのかもしれない。
(実際、某長編や某短編を思い出すし。作品名は伏せますが。)
どっちにしても、まず書かないだろうという馬鹿げたアイデアなのに、形になってしまっているのがあり得ない。
もはや白井智之にアイデアを渡したら、どんなにアイデアの質が悪くても、おもしろミステリを自動生成してしまうのではないかと思える。

地獄の中に優しさを見る

読了後、なんだかんだでいい気持ちになってしまったのは私だけだろうか。

森山太郎は優しい。
笑い方は気持ち悪いし趣味も悪いし酒飲むとめんどくささが増すけど、人のために動いてあげられるくらいには優しいし、心が広い。

でも、と青森は口を尖らせた。
「だから何だっていうんです?」

この口を尖らせるという動作が、慰めで言っているだけではなく本音のように思えて愛おしい。
私は個人的に、死の縁を彷徨った人は優しくなりがちという持論を持っているので、青森もそうかもしれない。
なんだかんだで人の考えに寛容で優しい白井ワールド、好き。


これは本当に根拠のない直感だが、猟奇的なものが好きだったりとんでもないタイトルの本ばかり出版していたりするあたり、作者の分身とも思える……。
一人称が「ぼく」なのも同じだし。
(※白井先生の笑い方は気持ち悪くないです。名誉のために一応言っておきます。)