午前五時の殺風景

ミステリとホラーを好む社会人。音楽もたまに。日々言葉が死んでいく。

名探偵のはらわた 感想

そういえば、はらわたの感想を書いていなかった。
これは初読の時に「白井先生なら作風が変わっても売れ続ける!」と(偉そうに)確信できたくらいには衝撃を受けた作品で、大好きなはずなのだけど……。
会社に持っていっていた時に、表紙を見た上司に「すごい名前の本だね」と笑われたのを覚えています。

文庫化したいい機会なので感想や余談をまとめました。
もちろんネタバレありなので、以下に進むのは既読の方のみでお願いいたします。
※名探偵のいけにえのネタバレはありませんのでご安心を。

全体について

モチーフとなった映画

タイトルから察した方も多いと思うが、これは『死霊のはらわた』がモチーフになっている。
若い男女が小屋にある古いテープを再生したことで、悪魔の魂が若者達に乗り移り、大惨劇が起こるホラー映画だ。

この映画自体は相当古く、所謂切り株映画であり万人には勧めづらい内容で、かつサウンドトラックがかなりの不協和音で聴いているのがなかなか辛い。
興味がある方は観てもいいかもしれないが、名探偵のはらわたと強い相関があるかと言われると設定を少し似せているくらいなので、知らなくても問題はない。

ちなみに続編の『名探偵のいけにえ』もモチーフがあるので、第三作目もおそらく何かしらの映画タイトルをもじると思われる。
えじきか、したたりか……。

こんな面白くつけられた作品名だが、読了した方々には既にお分かりの通り、複数の意味が込められていた。
一つ目は、死霊のはらわたからのもじり。
二つ目は、浦野のはらわた(これはギャグだが)。
そして三つ目は、原田亘の肩書。
ここでエモーショナルな含みを入れるのが白井先生の達者なところで、作中で何度も言われた「肩書は正しく名乗れ」という台詞が伏線として働いている。
はらわたは間違いなく名探偵になったのだ。

(こんな上手なことをしてしまうから、三作目のタイトルが難しくなるんだろうけど…。仮に名探偵のしたたりになった場合、何を滴らせるんだ。といいつつ、白井先生ならこの壁も乗り越えそうではある。)


元になった事件

これは流石に述べないと話が始まらないかなと思ったので、Wikipediaのリンクを貼っておく。

各内容を読むと、その凄惨な事件が現実だということに改めて驚く。ひどいし気持ちが悪いものも多い。
フィクションで触れているくらいが丁度いい。
しかし少し前に非行少年や猟奇殺人者に関する本も読んだけれど、善悪の判断ができない人は本当にいて、根本的に考え方が違いすぎる。
そんな人のことも含めて、誰でも生きられる社会を作るのって本当に難しいんだろうな……。(と、こんな浅はかな記事でも少し触れてみるなど。)


①神咒寺事件→元ネタなし(たぶん)

②八重定事件→阿部定事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E9%2598%25BF%25E9%2583%25A8%25E5%25AE%259A%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

③農薬コーラ事件→青酸コーラ事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E9%259D%2592%25E9%2585%25B8%25E3%2582%25B3%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25A9%25E7%2584%25A1%25E5%25B7%25AE%25E5%2588%25A5%25E6%25AE%25BA%25E4%25BA%25BA%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

④津ヶ山事件→津山事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E6%25B4%25A5%25E5%25B1%25B1%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

⑤玉ノ池バラバラ殺人事件→玉の井バラバラ殺人事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E7%258E%2589%25E3%2581%25AE%25E4%25BA%2595%25E3%2583%2590%25E3%2583%25A9%25E3%2583%2590%25E3%2583%25A9%25E6%25AE%25BA%25E4%25BA%25BA%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

⑥青銀堂事件→帝銀事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25B8%259D%25E9%258A%2580%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

⑦椿産院事件→寿産院事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25AF%25BF%25E7%2594%25A3%25E9%2599%25A2%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

四葉銀行人質事件→三菱銀行人質事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E4%25B8%2589%25E8%258F%25B1%25E9%258A%2580%25E8%25A1%258C%25E4%25BA%25BA%25E8%25B3%25AA%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6

ちなみに作中で取り上げられなかった事件がある。
③はこの後に述べるが非常にトリッキーで、一応取り上げられはしなかったが、最後に匂わせて終わっている。
⑤⑦⑧に関しては、事件自体は扱われていないが、神咒寺事件のワンシーン(テレビ画面を映すところ)で人鬼達の悪行がニュースで流れている。
今後登場する機会があるのか、期待したいところだ。


キャラクター性について

この『名探偵のはらわた』以降に発表された単行本(特に『死体の汁を啜れ』『名探偵のいけにえ』)に関してはかなりキャラクターが立っている。
デビュー作あたりの人間シリーズと比較すると顕著で、その頃はキャラクターに記号的な意味が強く、殺人の舞台設定のために用意された人物だというのがわかりやすかった。
その淡白なところも良くはあったのだけど、私個人的には白井先生の文体が好きで、キャラクターが生きているほどその文体も活かされてくると思っている。
だからはらわた以降の作品はより一層好き。

何故今回ここまでキャラクター性が強いかという疑問が出てくるのだけど、これには妥当な理由がある。
まず一つ目に、これの元が漫画の原作を担当するという話からできていること。(詳しくはリンク参照)
白井智之 Shirai Tomoyuki
そうなると当然キャラクターは重要になっている。
そして二つ目は私の推測だけれど、この作品を通して謎解きをするにあたり、人の心を捉えることが鍵になっていたからだと思う。

若林さんが文庫版の解説でも触れている通り、古城(体は浦野)からは

お前の推理には体温がない。

という名言が放たれる。
人鬼達による一連の事件を解き明かすには、鬼が何を考え過去の事件を模倣しようとしたかが重要になってくる。
特に津ヶ山事件は遺書も出てくるわけだし、何故そうしたか(ホワイダニット)に焦点を当てざるを得ない。
そこであまりにもクセのある人間を書くのはそぐわないので、犯人も探偵役も、ある程度人の心を持ち合わせている必要がある。

以上の理由から、本作は過去の作品と違った趣向になっていると考える。


本題までが長い、それがいい

白井作品の特徴として、肝心の設定に入るまでが長いというのがある。
例えば『東京結合人間』は島に集められた結合人間(という異形)達の間で殺人事件が起こるが、島に行くまでが長い。
そしてこのはらわたも、人鬼の設定が出てくるまでが長く『神咒寺事件』だけで小説全体の約半分を占めている。

一般論を言うと、本題には早く入る方が望ましいのだろう。
本題に入るまでが長いということは、本に書いてあるあらすじをなぞっている時間が長いということで、予想外のことは起こりにくいので読者は飽きやすい。
白井先生もそれには自覚的で、インタビューでも東京結合人間に関しては触れていたこともある。

それでも長くしてしまうのが、白井先生の論理に真摯に挑んでいるがゆえなのだろう。
ラストに至るまでの物語の過程・伏線を異論無いように組み立てるには、それだけの布石を序盤から打っておく必要がある。
読み返してみると、無駄のない文で構成された小説となっていることがわかるだろう。
読むのに退屈した人ほど、どうか再読をしてみてほしい。


個々の事件

神咒寺事件

津ヶ山事件と繋げるために作られており、恐らくオリジナルの事件。
かなり長めになってはいるが、津ヶ山事件の前説の役割もあり、清楚系名探偵浦野灸が死んでしまう大事なシーンなので、「名探偵がなぜ死んでしまったのか」を書くためにもここまでの長さが必要になっている。
容易く死んだら名探偵でなくなってしまうから。
(無慈悲なことをする割にこういうところは律儀。)

このような、振り返ると全てのシーンに意味があるところがたまらなく好きだと改めて思う。
(私はこの感想は最後まで読み終えてから書いているので、振り返って本を捲りながらそう感じている。)

ちなみに作中に出てくる『召儺』というのは調べた限り見当たらなかったが、近い言葉は見つけた。
追儺 - Wikipedia
追儺』というのは鬼を払うことで、節分の豆まきの原型のようなもの。
『召』ならばその逆で、鬼を呼び寄せる儀式になる。
これを恒例行事として行なっている木慈谷は相当頭がイカれた住民しかいないのだろう。


八重定事件

白井作品で局部切断が出てくるのは初めてではない。
『平成ストライク』に収録されている『ラビットボールの切断』がそれで、局部切断事件を専門とする探偵が出てくる。
白井先生ならそのうち、局部切断短編集でも出せるのではないか。

余談だが、まさにその平成ストライクの刊行記念イベントの際、白井先生は嬉々として局部切断の話をしていた。
その時がおそらくはらわたの執筆時期と重なっていて、「昔の、若者が集団自殺した事件を調べている」というようなことを言っていた気がする。

閑話休題。首切りをテーマとして挙げるのはよくあることだが、局部切断は珍しい。
しかも今回の八重定事件では、まさかの「自分の局部を切り落とした」「局部を選んだのは切り落としやすいから」という理由で書かれている。
常識的に考えたらありえない思考だが、論理的に考えれば正しい。
性的に歪んだ思考を持っていたという八重定の解釈を壊す、凄まじい推理だった。

ちなみにここで明言はされていないが、古城が何故地獄へ落とされたのかという部分の一端が判明しているのも面白い。
まさか人の命を奪っていたとは。
一応これも伏線だったのか?


農薬コーラ事件

これの元の事件は流石の無知な私でも知っていた。
恐ろしいのは、この犯人が時効を迎えいまだに捕まっておらず、2019年に秋田県で同様の毒パラコートを間に含有させた事件が起こっていること。
模倣犯か、それとも…………いや、ここで現実を深掘りするのは主旨から逸れてしまう。

局部切断に引き続き、この話ではこれまた白井先生お得意の吐瀉物(げろ、ゲボ)が出てくる。
白井先生の有名な作品だと、『ミステリー・オーバードーズ』に収録されている『げろがげり、げりがげろ』という最低なタイトルの短編も、その名の通り吐瀉物が出てくる。
好きなのか?


まあそういった性癖の話はさておき、やはりこの事件でもなかなか鋭い一手があった。
タイトルからミスリードをするというトリックだ。
事件を現実に解決していくだけだと単調になりやすいが、はらわたは、論理的な推理を組み立てること以外に大きなギミックを用意している。
絶対に読者を驚かせてやろうという企みをここまで丁寧に仕込んでいるとは。

ちなみにその大きな企みも、推理の根拠は細かい描写できっちりと伏線が張られている。
思いつきで書かれているわけではない。
本当にこれは……どこまでプロットの段階で考えているんだ。恐ろしい。

あとこれは私の完全な好みの話だが、古城がかっこいい探偵として描かれつつ、ラストでは凶悪さも匂わせ、最低な人物として終わるところも良い。
こういう自分本位だが強いポリシーのある頭がいい奴が好き。性癖に刺さる。


津ヶ山事件

衝撃的なのは、この推理が実際の事件とかなり齟齬がなく組み立てられているところだ。
私は関連書籍までは読めていないけれど(ごめんなさい今度読みます)、ネットで大まかに情報を漁った限り、事件当夜の流れや遺書の内容はほぼそのまま。
これを揺るがさないままオリジナルの推理を築き上げたとは。
調べて気づいた時には思わず「気持ち悪」と叫んでしまった。(褒めている。)


最後の事件になるので物語に相応な派手な動きも必要になってくるところだが、そこは『八つ墓村』をきっかけにした推理から古城がみよ子を追い詰めるという、衝撃の展開だった。(若干メタっぽくもあるし。)
それを打開したのが、浦野から原田亘へと継がれた名探偵のバトンというのも物語として美しい。
それっぽい推理を述べるだけではなく、動きがある展開を生み出しているおかげで楽しく最後まで読むことができる。
本格ミステリ特有の「推理の時に絵に動きがなく間延びする」をここまで器用に解決することに驚いた。

『顛末』も含めてこれまた上手にまとめられており、丁寧な一冊だった。
本当に、気持ち悪いくらい伏線(ミステリ的にも文学的にも)だらけ。

そしてこれは個人的に感動した部分だけれど、古城倫道、土下座する性格だったのか。
みよ子に土下座で推理を謝罪するところは、過去の傲慢な描写からは想像できなかった。
「推理に責任を持て」という言葉は、やはり古城のポリシーだったということか。
こんなオタクホイホイな名探偵を作られてしまったら、好きになるしかない。


その他の余談

関連作品

はらわたに出てくる人鬼が結構面白いと思っている。
人鬼以外のキャラクターはかなり人となりが見えてくるのに対し、人鬼は「特定の殺戮条件が備わった暴走ロボット」のように動く。
近しい作品として思い浮かんだのがこれ。

題材も作風もかなり違うけれど、人鬼=殺人ロボと考えると、論理的思考としてはかなり近いことをしていると思うので、ぜひご一読を。
(メジャーな本ではないけれど。)

あとは同じく津山事件を元にしているこれ。作中にも出てきたが。(まさか推理の一端で使われるとは思わなかったけれど。)

私は未読なので何も言えない。不勉強ですみません……。

これはもはやはらわたの内容とは関係ないけれど、農薬コーラ事件に出てきた『アリス・イン・スラッシャーランド』という名前の映画。
勿論架空だが、最近はくまのプーさんを元にしたスラッシャー映画もあったように、こういうタイトルをつけるあたり、洋画ホラーと近いセンスを感じる。
というか、『アリス・イン・スラッシャーランド』はもうこれ。



最後に

やはりはらわた、各話のギミックがとても良かった。
それでありながら伏線は細かくて、実在の事件も極力模倣して、詰め込まれすぎている。
そして愛すべきキャラクター達、原田、古城、浦野、みよ子。ラストに感じるカタルシス。読了後の幸福感が大きい。

はらわたが気に入った方は、ぜひ『名探偵のいけにえ』も。傑作なので。


ちなみに今更ですが、私が一番好きな白井作品の登場人物は、古城倫道ではなく青森山太郎です。