午前五時の殺風景

ミステリとホラーを好む社会人。音楽もたまに。日々言葉が死んでいく。

死体の汁を啜れ 考察

『死体の汁を啜れ』の地縛霊です。

今いけにえとはらわたが盛り上がっているのに、わざわざ一年半前に刊行されたものを取り上げるあたり、間違いなく牟黒市の呪縛から逃れられていない。

今回は、そんなふうにもやもやし続けている『死体の汁を啜れ』についての考察を真面目にやっていきたいと思います。

毎度のことですが、ネタバレ有りです。
未読の方はこれより先に進まないでください。

豚の顔をした人間が死んでいる――
こんな死体、あり!?
ならず者たちが、異常すぎる死体の謎を追う
若き鬼才が描く、本格ミステリの新世界!

この街では、なぜか人がよく殺される。
小さな港町、牟黒市。殺人事件の発生率は、
南アフリカケープタウンと同じくらい。
豚の頭をかぶった死体。頭と手足を切断された死体。
胃袋が破裂した死体。死体の腹の中の死体……。
事件の謎を追うのは、推理作家、悪徳刑事、女子高生、そして深夜ラジオ好きのやくざ。
前代未聞の死体から始まる、新時代の本格ミステリ!


ネタバレ始めます。

都合上、単行本のページ数に合わせて話をすることが増えますので、電子書籍派の皆様はご了承ください。

考察も何も…と思っている方へ

本書は何故か唯一、白井作品の中で本格ミステリベスト10にランクインしなかった。
これが本当に何故だかわからない。こんなに面白いのに?キャラクター達も可愛いのに?グロテスクな死体も出てくるのに?
しかも最後には……隠された謎まで出てくるのに?

さて、隠された謎はお分かりいただけただろうか?
白井智之は意味なく傍点は付けないですよ(たぶん)。

スルーしていた方は、今すぐ後日譚に戻るべし。
白井智之流、本当の謎解きはここからだ!


秋葉のサイン

さて、読み返した皆様は、青森の意見を素直に信じたわけではあるまい。
本書で多重解決が何度も出てくるように、後日譚にも仕掛けがあったのだ。

では、P329を読み返してみよう。

それでも秋葉の首は、青森から見て右へ曲がったまま、凍りついたように動かなかった。

さて、サインの意味はなんだったか。P268に書いてあった。

「右に曲げたら前向きなサインってことで。当たり! よくやった! 最高! は全部これです。
左に曲げたら逆なので、外れ! ふざけんな! 最悪! やってられるか! 死ね! になります」

これは、サインを出す側から見た左右なのか、サインを見る側からの左右なのかの定義が分かれ、秋葉と青森はミスを犯した。
そのためP271で

それじゃサインを出す側から見て判断することにしよう。

と定義付けたわけだ。
さて、これに則ると、秋葉は「外れ! ふざけんな! 最悪! やってられるか! 死ね!」という思いで死んだことになる。
青森が勘違いしたまま、この物語は終わったのだ。


秋葉の本心は?

やってられるか!死ね!と思った秋葉の心情を考察していく。
さて、秋葉はどんな人間だっただろうか?
ヒントはP34

食いっぱぐれない程度の金を稼いで、深夜ラジオを聴きながらのんびり暮らしたいだけなのに

これをもとに、ラストの秋葉の状況を考える。
秋葉は体の部位のほとんどが機能せず、唯一左耳の聴力が残っている。

論理的に考えてみてほしい。
十分な金を持ちながら、秋葉は働くこともできず、病室にいることしかできない。しかも片耳しか満足に機能しない。
残念な状況に思えるが、裏を返せば、働く必要もなくただラジオを聴いて生活していくことができるということだ。
つまりこの状況は秋葉にとっては天国
最初の秋葉の願いが叶ったことになる。

しかし、この願いは青森達のせいで砕けてしまった。
袋小路がラジオパーソナリティを務めることはもうないからだ。青森達の復讐によって、どこかの組織に売られたか、さっさと死ぬなりしているだろう。

この大好きなラジオ番組が失われた状況こそ、秋葉にとっての地獄である。
これは確かに「やってられるか!死ね!」だ。
その証拠にP328

ラジオの音が止んでいるのに気づいた。

と書かれており、秋葉が絶望してラジオを止めて自殺したと推測できる。
白井智之は意味なくラジオを止めないのだ!!


真相はいかに?

秋葉が死んだ理由についてさらに考えてみる。
『生きている死体』の真相は、あれで正しかったのだろうか?

今考えられることとして、2パターンある。
①袋小路は犯人ではない。秋葉はそれを嘆いて死んだ。
②袋小路は犯人であったが、秋葉はそれを庇ってでもラジオが聴きたかった。


パターン①について。
この場合、袋小路はP323で自白をしているが、これはただ単に相手が望む答えを言っただけとなる。
果たして、袋小路に可能だったのか?
……残念なことに、可能だったと言わざるを得ない
袋小路は青森達に捕まった際にトランクに押し込められているが、そこで全ての状況を得ることは可能だ。
被害者がやくざであることも、どのような拷問をされたかも。

ここで仮に「気絶させてからトランクに押し込み、トランクから出す際も気を失ったままだった」という描写があれば、袋小路が犯人であることが確定できるが。
このままでは「袋小路は自分が拷問される怖さに耐えかねてありもない罪を喋った」可能性は消せない。
しかしP323

あんなところで人が寝てると思わないだろ

を読む限り、黒っぽくはある。


そしてまたパターン②も否定できない。これは言わずもがな。


つまり白井先生が明らかにどちらかの真相を残したいのであればどうにでも伏線を張れたはずなのに、それはされていないことになる。
ということは、このラストでは「謎のまま終わりにしたかった」という意図があるのではないか。
散々多重解決をやっておいて、ラストには読者に対しても何が真実だったのかをわからなくさせる。これこそが、多重解決ミステリの書き手白井智之の仕掛けた罠だった。
奇妙な死体が出てくるさくっと読める短編ミステリと思わせておきながら、最後の仕掛けは壮大に張り巡らせているとは、狡猾さに恐れ入る。



これが、私が『死体の汁を啜れ』を評価する理由だ。
好き。一生読む。