午前五時の殺風景

ミステリとホラーを好む社会人。音楽もたまに。日々言葉が死んでいく。

お前の彼女は二階で茹で死に 感想・レジュメ

夏バテでご飯が食べられない。
酒は飲むけど。

今回は、8月5日に文庫化された白井智之氏の『お前の彼女は二階で茹で死に』の感想をネタバレ有りで書いていきます。感想というか、考察というか、レビューというか、まあそこらへんはいつもの如く混在しておりますが……。文庫ベースです。

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ではさっそく行きましょう。(以降ネタバレ&品のない言葉注意)

ミミズ人間はタンクで共食い

内容

ヤマトがミズミミズの水槽に入れられて死ぬ事件。溺れた後になんと全身をミミズに食われている。
設定自体は異常ではあるものの、死体自体は「何故か尿を飲んだ後に水槽内の水で溺死している」という不可思議な状態となっている。

謎を解決する糸口は「水槽に幼児を入れたら暴れるので水飛沫が上がるはず」というごくごく普通の事象だ。とんでもない世界観とは裏腹に、ロジックを積み立てるところは真っ当で、事件の手がかりとなる「濡れた形跡のない水槽周りの埃」「初見では手入れが困難なミミズの飼育」というのは現場検証の時点でしっかりと記述されている。どこまでも本格だ。

しかしこれでは終わらない。ここまでの真っ当な積み立てがありながらも最後の一押しは特殊設定。

ヒメの指紋が部屋の高所に付いていた
=彼女はミミズである
=ミミズであれば水槽に張り付いて登ることが可能

という、序盤に明かされていたノエルのミミズとしての性質を利用としたものだった。まったく、目の背けさせ方が上手い。

これだけの推理をしておきながら、実はこれが推理の全貌ではない。推理のベースには、サクラ、ユリ、ヒメの3名それぞれの犯人説があった。誰がノエルにレイプされたのかによって、3つの真相があったのだ。そして幸いにもノエルが自殺していたため、ヒコボシは好きな真相を選び取ることができた。そう、ノエルの遺書さえ捏造してしまえば、長年恨んでいたサクラが犯人であると確定させることができる。例え彼女たちがミミズの家系であっても、ヒメが高所に登れたとしても、ヒメが「ミミズ屋さん」と意味深な言葉を発していたとしても。

余談

どこでこの話を挟むべきか迷っていたが……。
この本のタイトルは『そしてカバたちはタンクで茹で死に』が元になっていると思われる。こちらは読んだことがないので、内容がオマージュなのか、ただ語呂が良くて持ってきただけなのか、わからない。

この短編は元は『ミミズ人間と青春のための殺人』というタイトルでジャーロに掲載されていたものなので、内容は関係ないんじゃないかと踏んでいる。
ちなみにこれ以降の話は全て書き下ろしである。

アブラ人間は樹海で生け捕り

内容

「自分の腸が、今どんな気持ちか分かる?」
知らん。

ということで第二作。これくらいセンセーショナルな一言を発してくれるなら、私も宗教勧誘に心躍るかもしれない。

ベロリリンガという、肛門に金属球を突っ込む宗教を信仰している村『尻子村』と、その隣の『辺戸辺戸村』の住人の間で起こった毒殺事件の話だ。

伏線がかなり多いながらも、読んでいてもそれがどう推理に結び付くのか気付くのが難しい。
例えば隠し味とか、調味料の容器を移し替えていたこととか、事件当日のガス漏れとか、ガリの発狂とか、やけに汚すぎるトイレとか、尻子玉とか。全部推理に使うのだろうなとは思いつつも、さっぱりわからない。あまりに異様な状況に、脳がフリーズしてしまう。

かなり丁寧にロジックが書かれており、「こういう可能性もあるのでは?」と思ったことが軒並み次ページで考察されていて脱帽した。

あとこれは二作目だからこその話になるけれど、ここでノエルの小説が発見され、
私たち読者が読んでいるノエルの強姦シーン=ノエルの私小説なのでヒコボシとマホマホにも共有済み
という構図が明らかになり、本当にフェアな立場に置かれることになった。そして加えて、
ノエルの強姦がどのように推理に変化を与えるのか
というのを読者に考えさせるようになっている。特に本作は、強姦が事件と関係あるようにはなかなか見えない構図になっているからこそ面白い。

余談

登場人物名。沢尻アスカや阿部良サダオも酷いけど、そもそも根本として
ヒコボシ、オリヒメ、オシボリ
って何? しかもオシボリじゃなくオリヒメが先に死ぬことある?
ペアとして残しておくべき名前も殺すあたり、無慈悲だなと改めて思う。

トカゲ人間は旅館で首無し

内容

トカゲ人間の設定が一番イメージが難しかったように思う。(私は奇遇にもこれを読む少し前から爬虫類の脱皮動画を見るのにハマっていたので、ぺりぺり皮を剥ぐのがとても想像しやすかったが。ちなみにとってもかわいい。)

旅館の女将とその長男が惨殺される、しかも密室だったという比較的お決まりのシチュエーション。これも推理は綺麗なのだが、救助隊の応援が呼べないことを「地滑りにあって全滅」という理由でばっさり進めているのが面白い。推理以外の部分があまりにもご都合主義だ。

この事件では犯人が二人いることになった。ミステリでは犯人が一人である方が美しいと私は思うのだけど、これは二人である理由が血溜まりの擦り傷とトカゲの性質で比較的シンプルに導き出せていて面白いと感じた。
ヒコボシ自身が午前四時に女将が生きている姿を見たと誤認させられたこと、長男の殺害現場が密室になっていたことでかなり事件は複雑化しているが、かなり人間心理(トカゲの話なのに)を突いた推理で真相に迫っている。

問題はそこからだ。帯にも『スラッシャー小説』と書かれているように、ここに来ていきなりジェイソンが暴れたかのような殺人撃が繰り広げられる。ゲンタが

「ばらばらに行動を始める登場人物たち。この後、大殺戮かな」

と言っているのが、皮肉にも本当になるわけだ。
間違いなくスラッシャーで、人間を豆腐だと思っているかの如くバサバサと死んでいくが、あくまでも語り口は淡々としているから過度なグロテスク要素は感じない。逃れようがなく皆殺しにするしかなかったのだなと冷静に納得できてしまう。

そして最後には、全ての推理がまたノエルの強姦により覆ってしまう。これに気づいたのが、先程まで大殺戮ショーをしていたヒコボシだと思うと本能と理性の切り替えが激しくて笑ってしまう。
またここではノエルが生きていることが明かされるが、読み返してみると、ヒコボシはノエルの死を確認していないとわかる。あくまでノエルの家に行った時は「自殺を図ったのだろう」と推測するだけで、その後オリヒメが到着してからも死体の確認はさせていないし救急車も呼んでいない。
リチウムの復讐のためならなんでもできるヒコボシだからこそ、ノエルを仲間に引き入れたのだろう。

余談

「なんで二階から落ちてきたんだ」
「春が近いからでしょう」
これは伊坂幸太郎すぎ。

水腫れの猿は皆殺し

内容

登場人物たちの関係性が見えてきた。
リチウム:デンに強姦される。ノエルがいじめられていることも相まって、水腫れの猿に加入しデンを殺してもらおうとする。
ヒコボシ:リチウムの兄。彼女がいじめにあっていたことを知っており、リスカの最後の後押しとして湯溜めで流血を助長してしまったことを後悔している。
楢山デン:リチウムを犯すクズ。
ノエル:リチウムの友達となる。彼女のことが好きだった。後にヒコボシと協力関係を築く。

実は皆繋がりがあったわけだが、それはそれとしてノエルは劇団の殺戮に巻き込まれることになる。団長の猿田が死に、その後他の劇団員も死亡する。

しかし犯人はノエルだ。トレーラーを釣り上げることで猿田を殺した。そして、猿田殺しの後に四人の死体も見つける。
混同しないように言っておくと、ノエルは殺しかけただけで、実際に殺してはいない、というか失敗に終わっている。殺せたのは猿田だけだ。

ここでは、ここまでの文がノエルの手記であるということが大きく活かされている。明らかに犯人でありながらも、意図的に自分が檻から出られたこと、夜に起こったことは省いているのだから。
大きく趣向が違うトリックを仕掛けてきた印象があり、とても良かった。

一応ここで時系列も整理しておこう。

ノエルが団地で犯す
↓6ヶ月後
ノエルが樹海で犯す
↓4ヶ月後
ノエルが旅館で犯す
↓5ヶ月後
『ミミズ人間〜』の事件が起こる
ノエルとヒコボシが知り合う
↓この間『アブラ人間、トカゲ人間〜』が起こる
『水腫れ〜』の事件が起こる
あらゆる死体が集結する

後始末

散々ミミズやトカゲの特殊設定を使ったと思ったら、ここでは性癖を足掛かりにして最後の推理を組み立てる。まさかあれだけの下品な情報が伏線だったとは、どうやったら気付けよう。
黒塗りされたハメ撮り写真。猿しか愛せない男。勃起障害、パイパン好きのデン。

キュンとするリチウムとノエルの恋愛物語などは無く、童貞が遊ばれただけで思い出を引きずり続けているという地獄絵図だったわけだ。
それを、レイプをやりかける時に気付くノエル、やはり優秀。……まあ最後は結局、力付くで敗北するのだが。

前章の時点でかなり衝撃だったのだが、ここでも一つ爆弾を落とすあたり、最後まで気が抜けない作家だなと改めて思う。
全てが前座というか、どこまで行ってもその先に推理がある。何が前座で何がメインかという議論も烏滸がましく、これ全てで一つの本が完結しているとしか表現できない。全ての短編が次の作品への下地で、しかしインパクトはメイン級で、出し惜しみなく作り上げる執念が怖い。

もう一度タイトルを見返すと『お前の彼女は二階で茹で死に』彼女、彼女か…………………結局、良いラブストーリーだった。
ぜひ読了した方々には、胸キュン青春ラブストーリーとしてこの本を広めていただきたい。