ポルノグラフィティ15thライヴサーキット『BUTTERFLY EFFECT』で『月飼い』という曲が演奏されました。『メリッサ』のカップリング曲で、ファンからすれば有名だけど一般人はまず知らないと思う。
簡単に言うと、恋人が死んだ歌です。恋人は死ぬ前に、水槽の水面に月を映して「月を飼うの」と言った。恋人がなくなってから、残された男は水槽の水を捨てる(=月が消える=恋人の象徴が消える)決心をする。
ライヴでは、この曲のイントロのような感じで、晴一さんの語りが入ったんですよ。それがまた考えさせられるものだったので、今日はつらつらと書いてみる。(何故二年前のツアーの解釈を今更しているんだと思われるかもしれないけど、逆ですよ。二年も好きな気持ちを引きずったから今書いてるんですよ。)
午前五時に反転したものは
夜と朝
本当とウソ
そこそこ多くの人に同意してもらえると思うのだけど、一日の終わりって深夜0時ではない気がしませんか? 0時になった瞬間に「日付が変わったな」と思うことはあっても、「新しい日だ」と思うことはなくないですか? でも夜一時に寝て、朝の7時に起きたら「また一日が始まった」って思いませんか?
じゃあその時間の境目はどこなのか。今日と明日の境目は何時なのか。それはたぶん人によって違っていて、晴一さんにとっては午前五時だったのだと思う。(ちなみに私は午前四時です。ちょっと空気が澄んで冷えた感じの時間。)実際、晴一さんは「午前五時が自分にとってのリセットタイムなんだ」と言っていたし、『THE DAY』 でも『静けさがしみこむようで息を止めた午前五時』と書いている。何かが否応なく、良くも悪くも新しい状況になってしまうのが、いわゆるリセットタイム。
そんな時間に反転したのが、『夜と朝』。うん、これはわかる。じゃあ『本当とウソ』は?
『月飼い』では
朝が嫌い 君が言ってた 全てを白々と見せる
恥じらう夜 嘘も痛みも綺麗に隠してくれる
と歌われている。物理的にも精神的にも、夜ってうやむやにしていい時間なのかもしれない。少なくとも、『月飼い』に出てくる「君」はそう思った。夜、勝手に都合よく解釈したことが、隠しきれなくなって朝が来てしまったってことなんでしょうね。例えば、恋人の死とか。夜の段階では「嘘に違いない」「まだ君の残した月があるから」「きっと戻ってくる」そう思っていたのに、朝になって「もう戻ってこない」とわかってしまった。残酷な反転だったのかもしれない。
海底から見上げた魚は空を飛んでいて
空から見下ろした鳥は海を泳いでいる
夜の本当は朝のウソ
自分が見えているものがすべて正しいとは限らないって、『カメレオン・レンズ』でも言ってた。
時間がたって、陽が沈んで「下から見る」立場になるのと、陽が昇って「上から見る」立場になるのとじゃ違う。それは、恋人の死の受け止め方が変わったっていうプラスの意味もあり、状況が一変してしまったっていうマイナスの意味もある。
あれ? 今気づいたけど、だとしたら『夜のウソは朝の本当』にするべきでは? 朝に自覚したのが「恋人がいない」ことだとしたら、それは本当だよね?
それでも逆転させたってことは、やっぱり死を受け入れられなくて、心の底では恋人のいる状態の方が『本当』だって思ってるのかな?
午前五時に反転したものは
一瞬と永遠 沈黙と静寂
二人黙った時間を沈黙と呼び
一人黙った時間を静寂と呼ぶ
一瞬の沈黙と永遠の静寂
これが天才だと思うんですよ。「死別」という言葉を使わず感じさせる。
『月飼い』って、解釈次第では別れたカップルと捉えることもできなくはなかったんだけど、この言葉で完全に死になってしまった……。
『一瞬の沈黙』とは、恋人との初デートでできた気まずい会話の間や、喧嘩をした時の怒りや、見つめ合っている恥ずかしい時間とかいろんなものを指していて、それに対して『永遠の静寂』って一種類しかないんだなあと思うと絶望ですね。
このインプロヴィゼーションは、曲全体を示すものではなくて、あくまでも導入だったんだと解釈できそう。受け入れる前の段階を書いていて、だから『夜のウソは朝の本当』ではなく『夜の本当は朝のウソ』だったんじゃないですかね。これを救える段階まで浄化してくれるのが、続いて演奏される『月飼い』なのでは?
とまあこんな感じにぼうっと考えていたわけですが、答えが明かされることは無いと思う。だってあのツアー限りのものだし。もう二年前のライヴだし。
だからこの考えた時間に意味があったかと問われると微妙なところではあるけど、やっぱり晴一さんの言葉が好きなんだなあと実感できたのでよしとする。ところで読みかえしてみて、何書いてるかさっぱりわかんねえな……思考を文にするの厳しい……。
本当に意味が分からな過ぎた人は、ぜひポルノグラフィティの『月飼い』を聴いてくれ……ライヴDVDも観てくれ……。