午前五時の殺風景

表染という、ミステリとホラーを好む社会人が書いています。日々言葉が死んでいく。

『証言』で心臓を抉られる今日この頃

岡野昭仁ってめちゃくちゃ歌上手くなったな。偉そうに言うけど。

『暁』の一曲一曲を聴くたびにそう思うので、今たぶん「上手くなったな」を200回以上積み重ねている。ツアー開始までにはスカイツリーの高さを越えるかもしれない。

上手くなってしまったことによって、感情的な曲の伝え方も上手くなってる。だから私は『証言』についてのことを書こうとしているのだろうし。


まず前提として私は『証言』の歌詞に共感はしない。そこまで重い感情を他人に抱いたことがないし、切る時は切る。と思う。
でも聴いてると泣いてしまうからタチが悪い。

人間関係の本質を突きつけられてしまうのがいけないと思うのだ。

たくさんの星が証言してくれるはず

って、逆に言えば誰も証言してはくれないということで、不干渉で不感症の表れ。
木々が薙ぎ倒されても、足が血に塗れても、どんな犠牲を払ったって関係が戻るわけでもないし。愛を信じたところで、壊れた事実に変わりはないし。

必要な強さを持ち合わせぬせいで

というけど、本当に原因はそれなのかなとか。もっと些細なことだったりするかもしれない。小さい事でもハリケーンは呼べる。

そんなことを考えていると、
人の繋がりとは脆いもので、こんなに絶望する事態が生じるかもしれないというリスクを負っていて、それでも人と関わって生きていくのって怖くないか?それでも人間が愛おしくなってしまうのってなんで?
と自問自答を始めてしまう。この自問自答タイムが一番病む。


思えばこの『暁』というアルバムは、『音楽と人』でも語られていたように「人と人は結局分かり合えない」ということを歌う曲が多い。

恋をした少女は神父と父によって

呪いの儀式で身を焼かれる

恋人の感情がわからなくなった結果

そこには二つの月が並ぶ お互いを知らないまま

メビウスの輪のように捻れた関係は

こわれてしまった すきだったんだけど

というように、主に恋愛において絶望を感じる。(恋愛以外の関係に置き換えることももちろん可能だとは思うけれど、とりあえずここでは恋愛としておく。)

それでは何か救いの言葉は無いのか?

ぐるぐるとアルバムを聴いていて、2周目に入ると見つかる。

その心が澱むのなら絶え間もなく
色を変える空のように流れればいい

Montageにもあるけれど、描き直そう。
幸いにも(残念ながら)人間は、絶望してももう一度未来を塗り替えることができる。また日は昇る。それが救いなのだ。


というわけで、心を落ち着かせるためには是が非でもアルバムを聴き始めたら一周以上しなければいけなくなってしまった。また再生回数に貢献してしまう。
私はそうやって、今夜もポルノグラフィティの手中から脱することができない……………………………。